1996年から2006年にかけてASBC(アジアボクシング連盟)の会長(兼AIBA副会長)を務めたカザフスタンのベケット・マクムトフ氏が14日、82歳で亡くなりました。
マクムトフ氏はソビエト連邦のスポーツマスターの称号を持ち、同連邦解体後は飛躍的に成長したカザフスタン・ボクシング界のリーダーとなった人物でした。当時のカザフスタン勢では1996年アトランタ・オリンピックでワシリー・ジロフ選手、2000年シドニー・オリンピックでベクザット・サタルカノフ選手とイエルマクハン・イブライモフ選手、 2004年アテネ・オリンピックでバフティヤル・アルタエフ選手が金メダルを獲得しています。ジロフ選手はその後にプロボクシングでも、カザフスタン初の世界王者となりました。
2006年、AIBA(国際ボクシング協会)の会長がアンワル・チョードリー氏からウー・チンクオ氏に移った後に国際的なボクシングの役職から離れましたが、2009年からはカザフスタン柔道連盟で会長を3年間務め、ボクシングでもその功績を称えて『ベケット・マクムトフ賞金ユーストーナメント』が開かれるようになりました。その最後に行われた2017年大会には日本も参加し、52kg級・中垣龍汰朗(日章学園高校)と56kg級・堤駿斗(習志野高校)が優勝しています。
お悔やみを申し上げます。
在りし日のマクムトフ元会長