写真:AIBA会長時代のウー氏はラウンド中の途中スコアを公開するなど多くのルール改正を試み、組織の資本主義化も本格実施しました。(Photo by AIBA)
2006年から2017年までAIBA(国際ボクシング協会)の会長だったウー・チンクオ氏(73=台湾)は、約30年にわたるIOC(国際オリンピック委員会)の役員職を辞任しました。1988年に同役員となったウー氏は在任中に複数のオリンピック博物館を建設するなど、スポーツ行政を鮮やかに彩り、2012年から2017年まではASOIF(夏季オリンピック競技団体連合)の副会長にも就任。2008年の北京から3大会でオリンピック調整委員会に参加し、文化オリンピック委員会の委員長も4年間務めるなど、出世街道を突き進む中、トーマス・バッハ氏が当選した前回のIOC会長選挙にも立候補しました。アンワル・チョードリー氏による長期政権だったAIBAで新たに会長職に就いてからは、IOCとの連帯感を高めるため、多くの改革を大胆に行い続けました。しかし、末期に導入した現在の採点方法が4年前のリオデジャネイロ・オリンピックで八百長疑惑を多く飛びかわせた他、約11億円の融資ミスをきっかけに、AIBAにはガバナンス不安と負債がもたらされたままです。ウー氏が退いた後のAIBAは、東京オリンピックでの関与をIOCから断られていますが、ウー政権の様々な改革はIOCの意向に応えようとしたものであり、抜群の安定政権であったからこそ、大胆な改革が実施し続けられたのも確かです。
故チョードリー会長(右)に
AIBA選挙で勝利した2006年
AIBA選挙で勝利した2006年